徒然なる記 12 2020年6月12日

梅雨に入った。
この時期になるとおばあちゃんのことを思い浮かべる。
なぜならば、名前がつゆだからである。

それだけかい?

私は初めての女の孫だった。
なのでねぼをすごく可愛がっていた。

おばあちゃんがいるのが富山で、家が福岡で1000キロ近く離れている。

なのでよく話していた記憶がある。


おばあちゃんには悪いが、名前でいろいろ遊んでいました。

といっていいかはわかりませんが。
ハッピーバースデーツーユーを歌うときに

ツーユーを強調したり、梅雨になれば思い出したりしてました。
こんなことばかりしていたので今のねぼライターが生まれてたのかもしれません。


おばあちゃんのことですが…。大正はじめの生まれでした。
おじいちゃんが売薬をしていたのでほとんどうちには戻ってきません。
そんな中、様々なお仕事をしていたそうです。
この体力が持続するのは私にも引き継がれているのかもしれません。

めったに会うことができない関係です。

一番かかわったのは、私が学生時代のときでした。
ちょうどバセドウ病で手術したあと、心配して私にあいにきました。
その時にいったのが阿蘇の大観峰。なぜいったかは覚えていないが。
それから主人とデートするまで阿蘇に行ったことがありませんでした。
暑い夏、おじいちゃんが体調を崩して入院し、大変で私も療養して涼しいだろうということで、1ヶ月半富山にいました。
当時、車の免許を持っておらず、病院に行ったり来たりで大変でした。
いい休養にもなりました。

その時からきつくて横になることが多かったため、ねぼすけになっていたのはご想像のとおりです。


また機会がありましたら書きましょう。




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